日本財団 図書館


報告することとなった。
この報告をもとに国際連合本部は、1967年9月、外務省に対し国際連合の案を示し、日本との共同事業としてこの計画を実施したい旨を伝え、日本政府の協力を要請した。
1968年9月、国連本部から上級顧問として派遣されたカリフォルニア大学環境工学部長のW. ホイートン教授を迎えて、「国連地域開発調査訓練計画中部センター」が名古屋商工会議所ビルの1室で開設された。
このセンターは臨時的性格を強く持つもので、国連本部からの上級顧問の他、所長(非常勤)の大来左武郎氏、研修主任として住宅公団から出向した長峯晴夫氏、愛知県と名古屋市から派遣された各1名の職員などで構成される小規模のセンターであった。
このセンターの活動に対して国際連合は、上級顧問、講師、コンサルタントの派遣を行い、日本側の受け入れ機関となった中部圏開発整備本部は、研修主任にかかる経費を負担することになった。海外からの研修員に対するフェローシップは、当時の海外技術協力事業団が供与する取り決めであった。愛知県、名古屋市、名古屋商工会議所などの出資によって設けられた国連センター協力会は、センターの事務職員を派遣し、図書その他の備品の購入に必要な経費を負担した。
「中部センター」は、1969年1月から5月まで東南アジアを中心に9カ国から9名の研修員を集め、第1回地域開発集団研修を実施したのを始め、1971年までに3回の集団研修を実施した。
この研修の成果について関係者の評価は極めて高かったが、国際連合としてはこの計画が将来何らかの形で恒久的なセンターに発展するとの保証がない限り、国連通常技術援助予算の性格上、国連援助を今後も臨時的な方式で継続してゆくことは、極めて困難であり、特に先進国たる日本に対しては援助の理由が成り立たない、という国連本部の立場が日本政府に伝えられた。
国連本部の決定を受けて国連地域開発高級顧問のワイズマン氏と外務省の折衝が行われた結果、日本政府の全額出資による信託基金方式でプロジェクトの継続が図られることとなった。
わが国は、国連地域開発センター(UNCRD)の設立、運営に要する経費として、初年度(昭和46年度)分105,154千円(米貨292,094ドル)の拠出を決定し、国連はこの拠出金を国連信託基金として管理し、国連の名と責任において、同センターを設立し、運営することとなった。1971年6月「日本国名古屋市における国際連合地域開発センターに関する日本国政府と国際連合との間の協定」が締結され、同年10月1日国連の正式機関として国連地域開発センターが開設された。
センター設立の背景について、中部センターの設立から運営に関わり、国連地域開発セン

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION